芝 卓史の自己紹介

フレスコボール日本代表愛用ラケット

はじめまして、芝です。

私はフレスコボールの日本代表として活動しながら、会社員としても、経営者としても日々奮闘しております。

ここでは、はじめての方に向けて、私がこれまで人生を歩んできたのか、自己紹介を兼ねてお伝えさせてください。

名前
芝 卓史(Shiba Takashi)

  

生年月日
1987年7月5日

職業
東京のIT広告代理店勤務
プライアスタ合同会社CEO

住まい
福岡県に移住

趣味
筋トレ・飲酒

家族
妻と3人娘

出身
埼玉県春日部市

フレスコボール日本代表としての戦績

2020年 日本ランク3位
2019年 日本ランク3位
    2018年 ブラジル選手権 第3位
2018年 日本ランク1位
2017年 日本ランク1位

メディア掲載


NHK:おはよう日本【新感覚!フレスコボール ~神奈川 三浦~】
爽快吾郎
朝日放送テレビ【エージェントWEST】
めざましテレビ【キラビト】

生い立ち

誕生~小学校

埼玉県の春日部市で生まれました。クレヨンしんちゃんの町です。
母の祖父母は、同じ春日部の「青柳」という老舗の和菓子屋を営んでいました。
(なんと創業、明治33年らしい!今は叔父が四代目)

生まれつき障害をもつ姉に母はつきっきりだったので、よく預けられていました。
(焼きたてのお団子が超絶おいしいです)

小学校になると、大好きだったドラゴンボールの影響で道場で少林寺拳法を習い始めました。
あと将棋も好きだったようで、当時もすでに有名だった羽生善治さんが公文式に通っていたという理由で、公文式にも入りました。
そんなこんなでいわゆる文武両道に両親に育ててもらいました。

中学校

普通の市立中学校に入学しました。
そこでは部活が強制だったので武道つながりで剣道部に。

部活だけでなく、カードゲームにもハマり勉強そっちのけでした。
そんな中学3年のある日

・急に県内上位の県立男子高校にいけと言われる。
・どうしても共学に行きたい私、焦る。そもそも偏差値足りない。
・共学に行くにはその男子校を上回る偏差値じゃないとダメと言われる。
・必死に頭の良い共学探す。早稲田実業を見つける。
・早稲田実業落ちる。なぜか受けてた早大学院がギリ受かる。
・早大学院は男子校のため絶望する。

みたいな出来事がありました。
まぁ、結果入学してよかったな~とは思いますが(笑)

高校

春日部から上石神井まで片道1時間45分という地獄を味わいました。
高校でも剣道部に入部し、剣道八段の先生にしごかれます。

下駄だけが禁止されるという、ハイパー自由な校則でもちろん授業も、先生が学習指導要領をガンシカトして
自分の好きな話だけしているという高校でした。

そして気付いたら、父方のいとこが同じ学年にいました。
自慢の天才いとこで、現在はニューヨークで国際弁護士やってます。
芝 亮(shiba ryo) NYで活躍中の弁護士 | 海外挑戦者の溜まり場

エスカレーターで早稲田まであがれる高校だったので部活に加えて、立ち技最強と呼ばれるムエタイを習い始めました。
なんとか留年だけは回避して、憧れの共学ライフへ。

大学

晴れて共学の早稲田大学へ入学しました。
ただ現実は・・・
クラスというものがほぼ存在しないので思い描いていたキャンパスライフはそこにありませんでした。

なぜか武を捨てて、テニスサークルに入りそこで始めて球技の面白さを知りました。
新早連というテニスの連盟の委員長を務めたりもしました。
年間合宿に9回くらい行っていたのでサークルと居酒屋バイト三昧の生活でした。

文字通り、人生の夏休みをたっぷり謳歌して社会に出ていくことになります。

新卒就職

いろんなサービスを展開している会社の旅行部門の営業職に配属されました。
社会人のイロハや営業の基礎を叩き込んでもらい、お金を稼ぐことの大変さを学べたと思います。

また3年目以降は営業だけでなく、地域活性化やマネジメント、そして新規事業の企画開発を担当させていただきました。
また職場の人とは本当に仲良くしてもらい今でもよく飲んだり、イベントに呼んでもらっています。

人生の転機

フレスコボールとの出会い

夏のある日、大学の後輩である「倉茂 孝明」選手がFacebookでフレスコボールの普及をしていたので、連絡を取って体験させてもらうことになりました。

初めてのプレーは逗子海岸。
2時間もしないうちにフレスコボールにハマりました。

正直、それまで海ってなんとなくあまり好きじゃなかったのですが、嗜好まで変わってしまいました。
とはいえこの時はまだ、

休日の昼間から運動して汗かいて海を見ながら美味しいビールを飲む

という要素の方に惹かれていた気もします。

その年の夏はそれからというもの三浦海岸やお台場、代々木公園で何度か練習させてもらいマイラケットも早速手に入れました。
そんな充実した楽しい夏でした。

父からの連絡

そんなある日、珍しく父親からLINEが。
なんと精密検査で肺がんが見つかったとのこと。
しかもステージはすでに4・・・

すぐに主治医に話を聞きに行きましたがいきなりの余命宣告。
もって1年。

目の前が真っ暗になる、といいますが本当にそんな感じでした。
そして結局、脳梗塞も併発し、3か月でこの世を去りました。
余命宣告から葬儀が終わってしばらくたつまで、人生に希望が全く持てなかったのを覚えています。

ただ人生ってずっと闇のままってことはなくて、希望の光が差し込んでくれました。

亮太との出会い

そんな大事件があり、仕事も半分手につかずもちろんフレスコボールからも遠ざかっていました。
そんな時にフレスコボールのビギナーズカップが開催されることを知ります。

このままふさぎ込んでいてもしょうがないなと思い、出場を決意。
ですが、フレスコボールからも離れていたので肝心のペアがいませんでした。
(当時は競技人口がまだ少なかったのもあります)

そんな時に出会ったのが「斉藤 亮太」でした。
彼とビギナーズカップ優勝を目指すことになります。
結果は、優勝!
そこから私の人生は大きく変わっていきました。

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その後はフレスコボールを人生の中心とするために、日々活動を続けています。